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 私は韓国の女性と結婚して韓国に渡り、12年間の韓国生活を経て帰ってきました。現在は、韓国法人である印刷・出版会社の日本支社に勤務しております。
 異国人の妻との共同生活を通して、そして実際に韓国で滞在してときに経験したことを根拠として、日常生活の中で感じるをアップしていきたいと思います。
【(株)成誌イーディーピー SEISHI EDP CO,. LTD】
10 自分の情を抑制しようとする日本人(「単騎 千里を走る」)
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     高倉健主演の日中合作映画「単騎 千里を走る」の試写会に行ってきた。(http://www.tanki-senri.com/)

     日中合作の映画に何故、韓国が関連してくるのか?
     映画の登場人物を通して、他国とは明らかに違う日本の国民性を浮き彫りにすることにより、韓国をはじめとする外国人の国民性を知ることが出来るからである。

     映画の設定は次のようである。高倉健に息子が一人いるが、妻が死んでから10年来、息子との交流もなく、田舎で一人で過ごしてきた。ある日突然、息子の嫁から連絡があり、息子のいる東京の病院に行ってみると、息子は末期癌に冒されているという。息子は父親との対面を拒み、息子の嫁からは代わりに、TVに紹介された息子のライフワークのビデオテープを渡される。その息子のライフワークとは、中国の雲南省に伝わる仮面劇の研究であった。高倉健は、余命幾ばくもない息子との絆を修復をするため、息子がビデオに収めることの出来なかった中国の仮面劇「単騎 千里を走る」をビデオ撮影するため、単独で中国へ乗り込む。
     その仮面劇を演じることのできる役者はいくらでもいるが、実は息子が撮りたいと思っている役者が存在し、その役者に仮面劇を演じてもらわなければ意味がないとして、高倉健は息子の指定する役者を探す。ところが、その役者は現在、刑務所で服務中であり、刑務所での撮影許可を得るのは難しかったものの、何とか刑務所に入り込み、その役者に仮面劇をさせるところまで、段取りを付けた。
     しかし、いざ劇を演じさせてみると、その役者は泣いてばかりで、一声も発することも出来ず、劇どころではなかった。故郷に残された息子に死ぬほど逢いたくて胸が詰まり、どうしても演じられないというのある。大勢の囚人の前に立っているにも拘わらず、鼻からは鼻水が垂れ落ち、顔も涙でしわくちゃである。

     普通の日本人であるならば、大勢の人の前で、恥も外聞もなく、このように自分の感情に素直になり、思い切り泣くじゃくることができるであろうか?
     実は、高倉健の息子も旅の途中で息を引き取るのであるが、他人には涙を見せまいとして、人知れず、一人で心の中で泣いていた。
     この自分の感情に素直になるというのは、韓国人でも同じである。日本人がむしろ異常なのかもしれない。

     韓国人は身内が死ぬと、周りに人が居ようが居まいが、大声を張り上げて泣きわめく。女性の中では、あまりの悲しみから失神してしまう人も出てくる。
     その一方、日本人の場合、人前では絶対に涙を見せず、必死にこらえるのが美徳とされる。

     韓国の男性と結婚し、韓国で暮らすある日本人婦人の子供が、火事で一気に4人死んでしまった事件があった。両親が早朝の新聞配達でちょっと家を空けた隙に起きた出来事であった。もちろん、報道沙汰になり、TVのニュースにその日本人女性のインタビューが流れていた。
     それを見ていた韓国人の私の家内は、「日本人女性は、なんてきつい性格なのだろうか」と呟いていた。子供を4人も失ったとしたら、精神状態は正常であるはずがなく、気絶してしまうか、大声で泣くじゃくるかの行動に出るべきなのに、その日本人婦人は、淡々として涙もみせずにインタビューに答えていたというのである。

     日本人である私から見た場合、当然その婦人の行動は立派であるが、一方、韓国人が見た場合、精神がちょっとおかしいと見なされてしまう。

     このように自分の感情をコントロールすることを良しとする日本人は、韓国人や中国人のようなストレートな感情の表現に戸惑うばかりである。
    | 国民性 | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    9 スキンシップが苦手な日本人
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       韓国人である当社の社長は、男同士で肩を組むのが好きである。今時、日本では友達同士ですら肩を組むことのない時代に、しかも13歳年下の私に対して、外で一緒に歩いていると、社長は肩を組もうとして私の肩に手を回して来るのである。
       日本人としての私は、いきなり身構えてしまい、我知らず拒絶反応を起こしてしまうのが常であった。男同士で肩を組むのは、ちょっと気持ち悪いという感覚があるためである。
       しかし、社長の感覚としては、それは親近感の表れであり、私に感心をもち、そして目をかけているという心情の発露である。

       女性同士でも、若い学生たちを見れば、今でも、仲の良い友達同士で手をつないで街を通り過ぎていく光景は、よく目にするものである。
       先日見た韓国のドラマでも、30代の息子が父親の手を握り、手を繋いで二人で田舎道を歩いていく光景も見た。

       また、韓国人の男性は、初対面同士が挨拶を交わす時や、久しぶりに会った知り合い同士では、必ず握手をする。そして、その握手は、ある程度力を入れて交わすことが良しとされている。

       ところで、余談であるが、韓国人の男性はトイレに行って用を足すときに、手を洗わず出てくる人が多い。私は、その洗わない手で握手を求めて来るのではないかと、一時期、疑心暗鬼になったことがあった。必要以上に日本人は、潔癖好きであるのかもしれないが。

       以上のように、韓国人がスキンシップを好む民族であることは明白であり、その一方で外国人から見た日本人は、スキンシップがとても苦手な民族に映るであろう。


       
      | 国民性 | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      5 情のキャッチボール
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         日本の冬を過ごすに当たって、韓国人の家内が常に不満を漏らすのが、日本の部屋の中が寒いと言うことである。私が住んでいる所は、真冬でも気温が零下になることは少ないが、家内に言わせれば、外の方が暖かいと感じられると言う。
         韓国では「オンドル」といって、床暖房がなされている。昔は薪をたいて温風を床に通して部屋を暖めるものであったが、現代では、ボイラーで水を温め、部屋の下に温水のパイプを張り巡らせている。一般的な家では、そのパイプを設置した後、その上をセメントで塗り固め、最後は「チャンパン」と呼ばれる厚さ5mmくらいの表面には木目とかの模様を印刷したビニールのシートで覆う。セントラルヒーティングのように上から温風が吹いてくるのではなく、床から暖めるので、布団を敷いて寝ていても、芯から温まる優れ物である。ソウルの冬は零下10度くらいになることも多いが、部屋の中はパンツ一丁でいても寒くない。勿論、床暖房だけでなく、窓は必ず二重窓になており、その辺の防寒対策もしっかりしている。

         ところで、家内は日本の部屋が寒いのを見て、「だから日本人は薄情であり、情がない」と、日本人にとっては聞き捨てならない主張をする。人間が寒い思いをしないように、せめて部屋の中だけでも暖かくするべきなのに、それをしないのは「情がない」というのである。
         さらに家内は、日本では「情の行き場」がないともいう。ある時、家内がキムチを漬けて近所の人にお裾分けしようとしたら、私の母親がそれを制止した。日本では、先進国化が進んで個人の生活を尊重するようになり、必要以上に他人に関心を持つことは失礼である。相手が必ずしも喜ぶとは限らない物を贈ることは失礼にあたるとしたのである。
         しかし、韓国では、食べ物を分け与えて食べるのは、常識である。食べ物を買ってくるにしても、必ず全員の分を買ってくるし、もし、全員の分がなかったとしたら、必ず分けて食べる。日本のように自分の食べる分だけを買ってきて、しかも食べ残ったとして食べ物に名前を書いて、他の人が食べられないようにするのは、韓国人には理解できない。
         家庭でおかずを多めに作った時は、近所の人に持っていて配るのが普通である。そして、もらった方はもうらうことに関しては負担にならない。日本のように、何かもらったら「お返し」をするという負担が一切ない。次回、自分が多めにおかずを作ったときは、そのときに持って行けばいいと思っているからである。また、親しくなった近所の人の家に遊びに行ったら、勝手に冷蔵庫を開けて物色することが多い。
         韓国では、相手に関心を持ってあげることが良しとされるが、日本は、その逆である。韓国では、例えばこのキムチという物を通して、お互いに情の行き来が成立するが、日本では、それを断絶してしまう。

         だから、家内は自分の情を近所の人に向けようとしても、それを拒否されてしまうため、情の行き場がなくなり、日本人は情がないという結論を出したのである。
         その家内の鬱憤を晴らしてあげるために、私はどれほど、家内と「喧嘩」をしたか分からない。話を聞いてあげるのではなく、喧嘩をわざとしてあげるのである。日本人は喧嘩をしてしまうと、二人の関係は冷めてしまう。しかし、韓国人は相手と喧嘩することによって、さらに仲が良くなる。喧嘩をしながら、自分の言いたいことはすべて言い合い、自分の感情の全てをぶつけ、相手が考えていることをお互い把握することによって安心するのである。
          また、喧嘩しながら、徹底して大きな声を出すことにより、ストレス発散にもなる。だから、家内は私と喧嘩した後は、すっきりしたとして、いきなり一人で勝手に平静に戻ってしまう。喧嘩することにより、家内は私との「情のキャッチボール」が成立し、鬱憤がいっぺんに吹き飛んでしまうのである。
         ところで、私と同じ日本人夫と韓国人妻のカップルにおいて、韓国人妻が不満に思うことの第一は何かというと、それは妻が夫婦喧嘩をけしかけても、夫が相手にせず、黙り込んで逃げてしまうことである。夫は日本人としての感覚が発動して、喧嘩を避けてしまう傾向にある。それが、妻にとっては無視されたと思い、感情が完全に爆発してしまうというのである。
         
         韓国人は日本人以上に、「情」が先走る民族性があり、その「情」というものが人と人の間を循環せず、滞ると死ぬほどのストレスを感じてしまう民族である。それで、家内のよどむ「情」の通りをよくするため、喧嘩を進んで買ってあげる私の姿があった。
         情のぶつかり合いを無意識に避けてしまう日本人は、この韓国人の情の波動にたじろいてしまう。しかし、本音と建て前を区別せずに、直接、情をぶつけてくる韓国人は、日本人にとってみれば、相手の考え方を容易に把握できる相手でもある。
        | 国民性 | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |